(この記事は note「運営者の雑感」にて掲載した記事を加筆修正して掲載しています)
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2年ほど前から、初めて会う人や、あまりお互いのことをよく知らない関係性で食事をするような場合、そのとき口にする料理の味があまり分からない状態になることがあります。
気心知れた人たちとの食事は問題ないのですが、人に招かれた食事会や、異業種交流の場、2,3回しか面識がない人との宴席では料理を味わえない。
味が分からないというのは、何も味がしない、というより、成分の味だけしか分からないような感じです。
たとえば、「オリーブオイルの味」「出汁の味」とか、味覚に通じるものは判別できるけど、料理そのものとして味わったり楽しむことができません。
そうなってしまった理由は職業病といったらちょっと大げさですが、インストラクターとして仕事をするときのクセが、仕事を離れた場面でも習慣として残っているのかもしれない、と思っています。
インストラクターとして仕事をするときは、お客さん一人ひとり「きちんと見て体の特徴を掴む」「満足してもらえるように相手に合わせたコミュニケーションを取る」ということにかなりの意識をおいています。
そして「教える」という状況を離れても、初めて会う人やよく知らない人に対して「きちんとコミュニケーションを取れるようにしなければ」という無意識のセンサーが必要以上に働き、全部の意識を対面する相手に集中させているので、勝手に気疲れしてしまうようになってしまったんだと思います。
そして、自分にこうした現象が出るようになって、思うことがありました。
ここ10年くらいでよく聞くようになった 「会社の飲み会は行きたくない」 という話。
若い世代は飲みに行きたがらない、会社の飲み会にも参加しない、という嘆きを中高年世代から耳にすることがあります。
お酒が嫌いとか、お酒の席が好きじゃない、プライベートを大事にしたい、などいろいろ理由がありそうですが
私のように、無駄に気疲れして楽しめない、という理由もあるのではないかなと思います。
上司や先輩の話をしっかり聞こうと思えば、話に集中しなければならないし、食べるものも食べられない、何を食べてるのか分からない、
相手は楽しそうだけど、自分はちっとも楽しくないし、時間とお金のムダだな・・と億劫に思う気持ちがなんとなく分かるようになりました。
私が会社員のときは、なんとも感じなかったし、むしろその頃はお酒が好きだったこともあり、若いときでも飲み会には積極的でした。
大して知らない先輩社員や上司がいても、苦痛に感じることはありませんでした。
いい意味で「適当」に人と接することができていたのだと思います。
しかし今は、気心知れた人以外との飲み会は、相手としっかり対話をしたいなと思うと食事は邪魔になる。しかもお酒も飲まなく(飲めなく)なっていることもあり、うまくリラックスできないんですよね。
きっと「飲み会が好きじゃない」という若手の社員も、あまり良く知らない上司との飲み会や、よく知っていても苦手だなと思う人とのお酒は気疲れするのかもしれません。
食事やお酒はリラックス効果があるからコミュニケーションを円滑にする、と言われることもありますが、「楽しめる飲み会」は、リラックスできる関係性でないと成立しないのではないかな、と思います。
「とりあえず飲み会やればコミュニケーション取りやすくなる」というのは、ちょっと強引すぎやしないか、と思っています。