定例会議はなぜ、かったるいのか?

会社員としての仕事には、必ずといっていいほど定例の会議や進捗確認などの会議体が、何かしらあると思う。部署単位、チーム単位、ときには社外のプロジェクト単位で行われたり。参加メンバーや頻度、目的はそれぞれ違いがあると思うが「定例会議」というものは、社内外のいたるところで多く存在している。

そして、このテの「定例で行われる会議体」は、なぜか慣れてくると「めんどくさい」「かったるい」という気持ちが起こってしまうことが結構あるように思う。「情報共有」「進捗確認」という目的の場合は特に。

 

わたし自身、会社員として働いていた時期を振り返ると、職種や立場の違いに関わらず「定例会議」は必ずあり、「なんだか面倒だなー」と思うことも沢山あった。

自分自身がチームを管理する立場で会議を開催していても「この定例、やる必要あるかな」と考えた経験もある。

また、自分が関わっていたプロジェクトで、ミスが後々に発覚し、結果として全体の業務が遅延してやり直しが生じた、ということもあった。そういうプロジェクトでももちろん「定例会議」はあったのに、ミスがあった直後の会議では報告されていなかったのだ。

「なんのための会議だよ」と突っ込みたくなるが、これも、まぁまぁよくありがちなことではないだろうか。

伝えるべきことを伝えていなくて、やがて炎上してしまうプロジェクトの話は巷ではよく聞く。“炎上案件あるある”話だ。

 

会議を開催する側の立場、例えばチームリーダーやマネージャーは、単なる進捗確認ということだけでなく、

  • 他のメンバーがどんな仕事をしているのか知ってほしい
  • 業務の全体感を把握して欲しい
  • あるいは何か意見があれば積極的に発信してもらいたい

という想いがあって設定していることもあると思う。
しかし、そういう想いをわかっていてもなお、「面倒な存在」になってしまうことも否めない。有効に活用されるべき時間がムダに感じてしまうのはなぜなのか。

 

いま振り返ってみて思うのは、「面倒だな」と感じたときは、定例の進捗会議でメンバーそれぞれが報告しなくても、ふだんの業務内で必要な情報が共有されていたり、マネージャーには個別に相談や報告しているようなときは「あえてやらなくてもいいのでは」と思っていた。

チーム内もマネージャーも、いまの進捗状況を把握しているし、それだったら「なんのため?」みたいな感覚になったことがある。

ふだんプロジェクトに顔を出さない役員が出席するというだけの理由で、プロジェクト内では既にみながわかっていることを、定例会議で再度報告することにどれほどのムダを感じたことか。

 

逆に、週1回の定例会議に「意義があるな」と感じたときもあった。

ある金融機関の決算プロジェクトに携わったとき、チーム内で週に1度必ず進捗確認が行っていた。10名前後のチームで、業務はメンバー同士の細かい連携や確認が必要、各々の進捗状況が自分のタスクにも相当影響するような状況だった。

もちろん、ふだんの業務で必要なことはすぐに共有する文化はあったけど、決算という業務の特性上、ちょっとした確認漏れが大きな影響を及ぼすことも多々あるので、入念な確認と業務の調整のためには、週に一度の会議は必要だった。

 

そして、もう一つ、その定例会議に意義があると感じた理由は、チームリーダーに「順調に進まないことが前提」という意識があったように思う。

決算業務の多くはいろいろな部署から情報が上がってくるのを待つ必要がある。様々な事情で情報の吸い上げに時間がかかったり、何かトラブルが生じたりするのはわりと日常茶飯事。

そういう状況を前提に、チームとして期限内に業務を完了するにはどうしたらよいか、メンバーの業務量はどう調整したらよいか、ということをリーダーは常に考えていたように思うし、メンバーも会議を通して、リーダーのそうした想いを感じることができていたと思う。

 

「順調かどうかを確認する会議」は、リーダーやマネージャーなどの管理者が、個別にメンバーに確認すれば会議として開催する意味は無いのかもしれない。

皆がみな、「特に問題ないです」と報告するだけの場で「遅れてます、うまくいってません」と報告するのは勇気がいるし、問題の先送りを招くことにもなる。

冒頭にあげたような炎上プロジェクトや、ゴリゴリの営業職でありがちな「営業進捗会議」などは、成果が出てなければ部長から詰め寄られて恥ずかしい思いをするだけで、会議そのものが憂鬱になるだけだ。

 

一方で、「チームとしての成果」を念頭に置いた会議体なら、話し合いがしやすいだろうし、業務量の調整もできる。リーダーは単なる進捗確認で終わらずに、メンバーから意見を引き出すような質問を投げかけるなどの工夫ができたら、より、活性化すると思う。

 

一口に会議、といっても、それに割くコストは金額に換算すればかなり大きいはず。

「定例会議」で聞くセリフが「特に問題ありません」ばかりになってきたら、それは必要のない会議と考えたほうがいい。

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